他の方に便乗した結果。
それは里玖と雪奈が付き合いだして半年ほどが経ったある日のこと。
県立王華高校付近の住宅街にある喫茶「エンジェルホーム」は、3階建の一軒家で居住スペースと一体になっており、居住スペースは一般的にある部屋に加えて夫妻の部屋とゲストルームが2つほどある。
1つは里玖がよく泊まりに来る部屋。
もう1つは夫妻の娘分たちが着た時に泊る部屋。
今日は里玖がよく泊る部屋にもう一人泊りに来ることに――
「いらっしゃい、雪ちゃん」
「こんにちは、よろしくお願いします」
エンジェルホームの裏口―居住スペースの玄関―に少し大きめのトートバックを持った雪奈が来ていた。
父親である矢島元が1週間ほど単身赴任をすることになり、友人である梨依音に娘を預けることにしたらしい。
「部屋は3階にあるゲストルームを使って。リビングと水回りは2階にあるわ」
「わかりました」
「そうそう。里玖もしばらく泊りに来るって言っていたわよ」
「えっ」
梨依音は楽しそうに里玖が来ることを雪奈の顔が赤くなる。
「うふふ。学校じゃなかなかゆっくりと話せないでしょ? これを機にゆっくりと過ごしたらいいわ」
微笑みながら“こっちよー”と中を案内する梨依音に、雪奈は少し照れながらついていくのだった。
「ここが泊まる部屋よ。ゆっくりしていってね」
案内されたゲストルームは小さな机とベッドが2つと隅に小さめなクローゼットがあった。
(綺麗なお部屋…)
荷物を置き、ベッドに座って中を見渡す。
すると、コンコンとノックの音が聞こえた。
“はぁーい”と雪奈が返事をすると、がちゃりと扉が開く。
入ってきたのは、ラフな格好で荷物を持った里玖だった。
「雪奈、もう来ていたのか」
「こ、こんにちは!」
こっちの部屋に入ってきたことに驚き、雪奈は勢いよく立ち上がり頭を下げて挨拶をする。
彼女の緊張を察したのだろうか、里玖は微笑むと彼女に近づいてわしゃわしゃと頭を撫でる。
「そんなに緊張するな。しかしな……」
「?」
「ちょっと梨依音さんのところへ行ってくる。荷物、置いておいてもいいか?」
「は、はいっ!」
答えを聞いて、里玖は入り口の近くに自分の荷物を置くと一度部屋を出て行く。
その姿を見送って、雪奈はへなへなとベッドに座りこんだ。
「び……びっくりした……」
事前に言われていたとは言え、こっちの部屋に入ってくるなんて思ってもいなかったのだろう。
じわじわと朱が差し始めていた。
ほどなくして、またノックが聞こえ、扉が開く。
「お、おかえりなさい」
「あぁ……雪奈、その、言いにくいんだが……」
「?」
「梨依音さんから、その……」
「??」
「同室で寝泊まりするように、と言われた……」
「え……えぇぇぇぇぇ?!」
里玖から告げられた内容に雪奈は思わず声をあげるのだった。
なんだかんだで時間が経って夜になり、雪奈と里玖は泊る部屋にいた。
昼間、雪奈は顔を赤くしつつ梨依音にどうして同室なのかと理由を聞いていた。
理由は至極単純で、自分たちの娘分たちが近々遊びに来る予定があり、部屋をそのままにしてほしいと言われたらしい。
しかし梨依音のこと、息子分である里玖と娘分である雪奈に少しでも仲良くなってもらおうと考えた結果でもあったりするが、それを2人が知ることはない。
「その、すまないな」
「え?」
「俺の家はこの近くなんだ。だから泊まらなくてもよかったんだ」
2人はそれぞれのベッドに座り、里玖は項垂れた様子で話し出す。
どうやら同室になってしまったことに悔やんでいるらしい。
「そ……そんなこと、ないです」
絞り出すような声で、雪奈は呟く。
「お、驚きは、したけど……こ、こうして、一緒にいること、す、少ないし……」
もじもじとしながら、俯いて恥ずかしそうに言う。
「そ、それに……今、すごく、嬉しい……から……」
「雪奈……」
「だ、だから、そんな風にいわ……っ!」
そう言いながら雪奈が顔を上げると目の前には里玖がいて、押し倒される勢いで里玖は彼女に抱きついた。
「り、里玖……!?」
「ありがとう、雪奈。ありがとう」
「……うん」
いきなり抱きつかれて驚いた雪奈だが、謝意を述べる里玖に微笑んで抱きしめ返した。
しばしの抱擁、里玖はうずめていた顔をあげて雪奈を見る。
「? どうしたの?」
じっと見つめる里玖に小首を傾げる雪奈。
すると里玖は雪奈の前髪をあげてそっと唇を寄せた。
突然のキスに驚いた雪奈だが、里玖からのキスの雨はやまない。
彼女の両の目に、彼女の両の頬に、そして――
「雪奈、目、瞑ってくれないか」
「…うん」
そっと、瞳を閉じた彼女の唇に。
キスの雨が止んで、雪奈は里玖の腕の中で寝息を立てていた。
窓の外は闇の帳に包まれ、その中で三日月が少し輝いてる。
(そう言えば、誰が言っていたな……キスする場所には意味がある……額と瞳と頬と唇は……)
祝福と憧憬と親愛と愛情と
すやすや眠る雪奈を見る里玖。
ごくっと唾を飲み込むと、彼は彼女の首筋にキスを落とす。
(首筋は執着……だったか……いつか、雪奈の全てを知りたい)
そう思いながら、彼は意識を眠りへと沈めていくのであった。